鳥語花香録

Umiyuri Katsuyama's weblog

山の人魚

   山の人魚   勝山海百合

(これは叔父から聞いた話だけれど、叔父はテホ語り、いわゆるほら吹きだったので、眉に唾をつけて聞くように)

 人魚というものは山にもいる。しかしどこだりにいるものでもない。山の奥の、水がこんこんと湧き、冬でも凍らないような沢にいるものだ。
 トライブチという沢には人魚がいると言われていた。誰も見たことはなかったが、その沢のある山を持っている家がたいそう栄えていた。寺のような門構えで、茅葺きの大屋根、厩には立派な馬が何匹もいて、その家の娘だちは赤い着物で遊んでいたものだ。
 若い頃、おれはその家で働いていたのだけれど、ある年は冬至近くなっても雪が積もらなかったので、朝から山に入っていたが――なに、見回りだ――午ごろ、水が湧いて青いような淵に出た。おれはそこで弁当をとることにして、櫃ッコを開けて食べ始めた。お菜は漬け物と塩辛く煮た魚が一切れ。もつもつと食ってから、沢の水で櫃ッコを洗おうとかがんだら、水の中からじっと見ている白い顔と二つの目がある。これが人魚かとあやしみながらも捕まえてやろうという気になって、広げた手拭いでそうっとすくい上げたら、じっとしていたのが水から出たとたんにギェーと絶叫する。魂消て尻餅をついて取り落としたが、見ると黒と桃色の鱗がまだらになった人の赤ん坊くらいの鯉の胴体に人の顔がついており、口には尖った歯がびっしり。なんときびの悪いものだと思っていると、ぱっと飛び跳ねておれの手首を噛みやがる。これが痛いの何のって、腹が立ったのでぶん投げて踏みつけて、沢に落としてやった。
 見ろ、これがその歯形だ。その次の年に太平洋戦争が開戦して、終戦したら農地解放で、その家の山も土地も、あらかたもっていかれてしまって見る影もない。


高橋克彦赤坂憲雄東雅夫編『みちのく怪談コンテスト傑作選2011』(叢書・東北の声、荒蝦夷)所収。
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