鳥語花香録

Umiyuri Katsuyama's weblog

たのみごと

「椒図志異」は、芥川龍之介が読んだり聞いたりして集めた怪談集で、全集か『芥川龍之介妖怪文学館』(学研M文庫)(現在は品切れ)で全文を読むことが出来る。
その「椒図志異」の中から、好きな怪談を選んで掌編を書くという依頼が『幽』編集部からあり、どんなものを書いたらいいか迷って、こんな感じですかと書いて読んでもらったら、もっと物語性を強めて構いませんとのこと。
書き直したものを掲載してもらいましたが、初期型はこちら。ほぼ「椒図志異」に書いてあるとおり。
「たのみごと」

 高橋太右エ門は、兄弟ともども伯父の浜田三次郎方で養育されたが、というのも、五十年ばかり前に父親の能勢平蔵が故なく出奔したためである。
 六、七年も前のことであった。太右エ門のもとに、かつて平蔵に仕えていた女が訪れた。太右エ門の頭には白い物が多くなり、髷も細くなっていたが、女の髪はもっと白く少なかった。痩せて背中が曲がった女は、座敷で湯飲み茶碗をひと撫でしたのち、「平蔵様がお出でになりまして」と語り出し、次のように語った。
 女の前に現れた平蔵は、出奔したときと変わることのない姿、出で立ちで、自分は今、この世でありながらこの世でないところにいる。子らの姿を見ることもあるが、こちらから話しかけることはできぬ。と言った。
「ここに現れたのは、太右エ門方に行って伝えて欲しいからだ。拙者は家を出たが、死んではいない。それなのに拙者が家を出た日を命日に定め、仏法風に戒名まで負わせている。こんな風にされたため、これより高く昇り進むことが不能となっている。太右エ門方に行って、死人扱いは止めるようにと言ってくれ」

 私はこの話を太右エ門の縁者から聞いたのだが、たまたま知り合いであったため、太右エ門本人に話の真偽を問う機会があった。太右エ門は、年寄りの世迷い言だと一笑に付したあと、真顔で付け足した。
「よしんば、父の真実の願いだとしても、いつまでも手前勝手を赦すわけにはまいらぬ。供養を止めることは金輪際ござらん」

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