鳥語花香録

Umiyuri Katsuyama's weblog

魚の味噌漬けときゅうり

新潮社の人に会ったとき、『波』五月号をいただいた。
あとで読んでいたら、永田和宏の連載「河野裕子と私 歌と闘病の十年」が最終回で、そういえば連載していたなと思いながら読み始める……最終回なのだから永訣の回なのに、なんの覚悟もなく読み始めたのは失敗だった。永田の妻、河野裕子の病は重く、最期を迎えるために自宅へ戻る。(河野裕子歌人で、夫の永田も、彼らの息子と娘も歌を作る。歌人の家庭)
河野は病床で歌を作りながら衰弱していき、肉体の痛みは増していく。鎮痛剤では除けない耐え難い痛みを抑えるためにはモルヒネを使うのが最善の策なのだが、歌作が出来なくなるからと使用は先延ばしにされる。苦痛は伴うが、この判断のおかげで、ほとんど死と触れ合うような生の辺境で河野は歌を遺し、家族と別れの言葉を交わせたのだ。
河野は、夫の頭を抱き寄せ髪を撫でながら、娘の紅(こう)に、「お父さんを頼みましたよ。お父さんはさびしい人なのだから、ひとりにしてはいけませんよ。大事にしてあげてね」と語り、それを聞きながら夫は泣く。紅もまた母の胸に顔を埋めて子どものように泣く。それを見ながら、息子の淳は居心地が悪そうにしている。

 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

  河野裕子『蝉声』

亡くなる前日に作った、最後の一首。
翌八月十二日、河野は亡くなる。その日の午後、河野は夫に、「今晩、ご飯は? 何食べるの?」と聞く。夫は、「魚の味噌漬けをいただいたのがあるし、きゅうりも漬けようか」と答えるのだった。まるで普通の夏の日の午後のように。