鳥語花香録

Umiyuri Katsuyama's weblog

漁師の日

三月の金曜日。電車に乗っていたら、乗り合わせた人が「松方弘樹、いま入院しているのよね。虎ノ門病院に」と話しているのが聞こえた。そうなのか、と思いながら新橋駅で下りて、赤坂一丁目の日本財団ビルを目指した。東京国際文芸フェスティバルのプログラムの一つ「海でつながる台湾に息づく海洋文学 ―台湾の少数海洋民族出身の作家に訊く」を観覧するためだった。新橋の駅前を櫻田通りを目指して歩き始めると、風に乗って潮の匂いのようなものを感じた。東京湾が近いのと風向きのせいだろう。
会場は初めての場所で、このあたりのはず……と思いながら歩いていたら虎ノ門病院があった。有名な虎ノ門病院はここなのか(実在したんだ)と感心しながら通り過ぎる。すると目指すビルはすぐそこだった。
プログラムは、台湾原住民のタオ族(ヤミとも言われる)の小説家シャマン・ラポガンと、シャマン・ラポガンと親交がある小説家の高樹のぶ子、翻訳家の魚住悦子が話をするというスタイルで進んだ。ステージに日焼けして長身のシャマン・ラポガンが登場すると潮風が吹いたようだった。(ちなみにシャマン・ラポガンというのは「ラポガンの父親」という意味で、ラポガンは彼の息子の名前。台湾の戸籍名は別にある)
都会から島に戻った一人の男が、ほんとうのタオの男になるための苦闘(海の神に祈り、漁の腕を磨き、暗くなっても海に潜っていて老いた父親に心配を掛けるなと叱られる)を描いた私小説的な『冷海深情 (シャマン・ラポガンの海洋文学)』(草風館、魚住悦子訳)を読んでいたので、島の漁師であり、大学出で小説も書くということはわかっていたが、シャマン・ラポガンさんと高樹のぶ子さんの会話を聞くうちにどんどんぼんやりしていたキャラクターに肉が付いてきて、面白かった。
シャマン・ラポガンさんが、「高樹先生は島に来て、私と一緒に海に潜って、山で木を切ってきて船を作った。台湾の作家も評論家もそんなことは誰もやらなかった。台湾の男もやらないことをやる、高樹先生はすごい」と言い、高樹のぶ子さんは「あの潜水は苦しかったです」と笑っていたが、高樹のぶ子さんのチャレンジ精神と体力は大したものだと思った。
島民で漁師なので台湾文壇では評価されず、先年台湾の文学賞の候補になったが、(小説家や評論家のコミュニティにいる)友人も「わたしは漁師ではないから海洋文学はわからない」と言って投票してくれなかったと不満げに語っていた。わたしは日本語に翻訳されたものを読んでいるので、呉明益も甘耀明もシャマン・ラポガンも「台湾の現代作家」、広く言えば「海外の作家」として読むため、そのあたりの事情を意に介したことはなく、意外だった。
最後に、シャマン・ラポガンさんは、日本のテレビも見るけれど特に釣りのドキュメンタリー番組が好きだと漁師らしいことを言っていた。「マグロ漁をする老人の話が興味深かったが、その漁法が厳しいため、誰一人、彼の息子もその漁法を受け継がないのだ、もったいない」
「釣りの番組って、松方弘樹が出るような?」と高樹のぶ子さんが言ったとき、なにかが繋がったような気がした。
しかし三カ月経ってもなにがどう繋がったのか、言い表せずにいる。

冷海深情―シャマン・ラポガンの海洋文学〈1〉 (シャマン・ラポガンの海洋文学 1)

冷海深情―シャマン・ラポガンの海洋文学〈1〉 (シャマン・ラポガンの海洋文学 1)

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