ジェニー・ザンを知ったのは『文藝』二〇二〇年春季号に載っていたエッセイ「存在は無視するくせに、私たちのふりをする彼ら」(小澤身和子訳)でだ。ザンは中国系アメリカ人の詩人、小説家。冒頭で、アイオワ・ライターズ・ワークショップの大学院生だった時、白人のクラスメイトに「君はすごくラッキーだよ。ここにいる誰よりも楽に出版してもらえる」と羨ましがられたエピソードを紹介している。ザンの作品を一読、その才能に驚嘆して思わず出た言葉ではない。エキゾチックさだけをかすめ取ってのことで、かれらはザンには特権があると思い込んでいた。
明晰で痛快で、痛みがあって、強く印象に残り、ザンの短編集が出るのを待ちかねていた。
短編集『サワー・ハート』は買ってから、やおら読み始めた。楽しみにしつつ、すぐには読まなかったのだ。
貧しい少女時代を送ったザンの自伝的な短編集らしいとは知っていたけれど、本当に貧乏だった。両親は中国から体一つ(ただし高い教育があり、英語の読み書きができる)でやってきて、なんとかアメリカに根を下ろそうとしており、周囲の中国人も似たような境遇で貧しい。家賃が払えず、よく知らない人たち(中国人)と狭い部屋に缶詰のオイルサーディンみたいになって寝る生活。幼い頃のザンと思しき小さな子どもは泣いたり、粗相をしたり、湿疹が痒くて眠れなかったり。住んでいたアパートが倒壊したこともあった。想像以上に苦しい生活で、出まかせとも思えない生々しい描写に一度本を閉じて表紙を見た。帯に猛毒青春小説集とある。「心の準備をしてから読んで。」というミランダ・ジュライの推薦の言葉が印刷してあった。先に言ってよ、ミランダ。
しかし面白かった。赤裸々で、身も蓋もなく、瀬戸際。特別に親しいわけでもない同胞であっても、住むところがないと相談されたらなんとか力になってくれる。なぜなら、本当に住むところがないことを知っているから。お互い様なことを身に染みているから。アメリカに渡った少女は、親の都合で中国の祖父母の家に預けられるので、上海の親戚も登場する。やっぱりアメリカの子は違うね、と思われたりしながら、親愛を覚えたりそれほどでもなかったり。
神話を読んでいる感じもあった。成長するにつれて日々世界が広くなっていくという意味では創世神話に近いのかも知れない。
神話的と言えば、「私の恐怖の日々」に登場するスジン。住所を誤魔化して、違う学区の少しマシな中学校に進んだら、そこにスケバン(昭和後半の日本のフィクションにしばしば登場する女子。その地域、学校を支配している、「女の番長」のこと。男だと単に番長)とは書いてないが、そうとしか言いようのない韓国人の美少女が上級生にいたのだ。美しい顔で残虐、恐怖で支配する少女。なんの神か。九十年代のアメリカではあるが、中森明菜か南野陽子みたいな少女だろうかと想像する。神話的といえば山口百恵だろうか……と考えて平手友梨奈に落ち着いた。