鳥語花香録

Umiyuri Katsuyama's weblog

「上遠野伊豆」現代語訳

只野真葛『奥州ばなし』より
十五「上遠野伊豆」
主な登場人物の紹介。
上遠野伊豆:出豆とも。本編の主人公、禄八百石。
(橋本)正左衛門:継母が上遠野家の出身。不思議なことに興味があり、自分でも狐を使うようになったりしたいと考えている。『奥州ばなし』収録の「めいしん」「狐つかひ」にその不思議を好む性質と行動が記されている。近刊『みちのく怪談名作選』(荒蝦夷)に現代語訳掲載予定。
八弥:真葛の夫・只野伊賀の弟。橋本正左衛門の養子。

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 上遠野伊豆という人は、明和安永【一七六四〜一七八〇年】の頃にお勤めされていた人です。(禄八百石)武芸は達人の域でしたが、わけても自分で修練した手裏剣の妙技は大したものでありました。針を一本、中指の両脇にはさんで投げれば、その当たること、思うがままでありました。元来、この針の技は、敵に逢った時、両目をつぶしてから戦えば、どんな大敵であっても恐るるに足らずと思いついたことだそうです。つねに針を両の鬢に四本ずつ計八本、隠し刺しておいていたとか。(この頃までは、まだ手強い敵もありましたので、このようなことを思いついたのでしょう。最近の若い人の弱々しいこと、たとえにもだせません。)先々国主のお好みに応じて打たせられるのですが、御杉戸の絵に、桜の下に馬が立っているものがありまして、四つ足の蹄を打てと言われて、二度打ちましたが、少しも外れることはありませんでした。芝御殿類焼のまえには、その針の跡、確かにございました。昔、富士の巻き狩りで、仁田の四郎がイノシシに乗った故事【鎌倉時代に、源頼朝が富士の裾野で狩りを行ったとき、手負いの大猪が暴れ回ったところを、仁田四郎忠常がイノシシにまたがって仕留めた】にならったというより、その妙技で、お山追い【伊達家の恒例行事で、大規模な狩り】のたびごとに、いつもイノシシに乗ったと言い伝わってます。正左衛門の継母は、上遠野家より来た人です。(伊豆には、正左衛門はまた甥にあたります)この人のはなしに、伊豆は狐を使うようだ、ちょっと不思議なところがあるというものがあります。手裏剣やイノシシに乗る技など、危ういことであり、それを、どうやって身につけたのかと聞いてくる者があったので、思いあたったのだそうです。だから正左衛門も、飯綱の法を習おうとしたのでしょう。
 八弥がまだ若い頃は、伊豆も年を取っておりましたが健在で、夜ばなしの折などにイノシシに乗る話をいつも語っていたそうです。逃げていくイノシシには乗られませんが、傷を負って、人を牙にかけようと向かってくる時、人の足下に来ると少しためらいます。その時に逆さまに飛び乗るのです。イノシシは肩の骨が広く、尻は細いので、尻尾にすがって下腹に脚をからめていれば、どんな藪をくぐろうとも、ぶつからずに行くことができます。さて、好きなだけイノシシを走り回らせ、少し弱ってきたら、足場の良いところで脇差しを抜いて尻の穴に刺し通し、下腹の皮を裂けば、けして仕留め損なうことはない、と言っていたそうです。手裏剣は、伊豆一代きりで習う人は絶えました。もっとも、人が習おうとしても、元々人に教わったことではないので、なにか言って教えるようなこともなく、ただ根気よく、二本の針を手にして打ち込み、自ずと習得した技なのだと答えたそうです。八弥にも、こうしてああしてと手ほどきをしたので、少しは真似をしたものの、けっきょくものにはなりませんでした。