鳥語花香録

Umiyuri Katsuyama's weblog

誰よりも狙われた男

今年の初め、フィリップ・シーモア・ホフマンが亡くなった。
先日観たアントン・コービン監督の『誰よりも狙われた男』(原作はジョン・ル=カレ)はドイツのハンブルクを舞台にした、重々しく息詰まるスパイ映画だったが、ホフマンの遺作になったことを知っていて観たせいもあって、映画の最後、スクリーンからホフマン演じるギュンター・バッハマン(テロ対策の諜報部員)が去ったあと、バッハマンが急死(横から暴走車にはねられるとか、心臓発作を起こすとかで)したような気持ちになった。そのため、実はこの映画、死したバッハマンの魂が映画の中の時間を繰り返しているという設定なのでは……と思えた。
一度そんな気がすると、そういえばバッハマンは飲み物を口にするだけで、ものを食べていなかったような気もする。仕事に命を懸けたバッハマンを表現した演出だったと思うけれど、あんなに心身ともに痛めつけるような仕事ぶりなのに、ピザもハンブルクステーキもなしなんて、生きている人間に出来ることではない……われながらこじつけでいると思う。
バッハマンが職場で使っているコーヒーカップが、アラビア社のムーミン・シリーズ(緑色で、ミムラの娘ミイがプリントされている)なのは、バッハマンの人間らしさの名残り。(ちなみにカップ自体は teema という食器シリーズと同型で、使いやすく頑丈)

ホフマンは個性的な役が多いが、最初に存在を意識したのは、トッド・ソロンズ監督の『ハピネス』(一九九八年)と前後して観たブラッド・アンダーソン監督の『ワンダーランド駅で』(一九九八年)だった。出番は少ないが主人公の女性の別れた恋人役で、彼女と一緒に暮らしている部屋からフトンを持って出ていくという非道ぶり(どうやって寝ろというのか)に、別れて正解と思った。このあとでポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』(一九九九年)を観たら介護士役で、「普通の優しい人」にしか見えないことに軽く驚いたものだった。