鳥語花香録

Umiyuri Katsuyama's weblog

二〇一四年の映画

今年観た映画で、印象に残っているものを挙げる。

★『ミス・ジーンズ・フィンランド』(マッティ・キンヌネン監督)
一九七七年のフィンランドのオウルで、十七歳のバルデはアメリカや英国の音楽に触れて、自分でも作詞作曲をし、歌い始める……同級生の美少女ピルヨがミス・ジーンズ・フィンランドに選ばれたり、同級生に変わっているとからかわれたり、年上の女性に惹かれたり、年下の少女に慕われたりする。地方都市に住む、若さと可能性だけはある少年の青春が切ない。当然のようにバルデのバンドが音楽性の不一致(女性が絡んでいる)で解散するエピソードもある。集合住宅でバルデの隣に住む、子だくさんで保守的な家庭(バルデは「狂信者」と言っていた)の男の子二人との窓越しの交流が可愛らしい。

★『馬々と人間たち』(ベネディクト・エルリングソン監督)
アイスランドの馬を多く養う地域で、雄大で厳しい自然を背景に、馬と深く関わる人間の暮らしのあれこれがことさら盛り上げる調子もなく描かれる。しかしけっこう深刻な事態が次々と起こる。本編では二頭の馬と二人の男が亡くなるが、未婚女性以外の女性は未亡人ばかりが登場すると見終わって気付いた。

★『灼熱の魂』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)
同監督の『プリズナーズ』の、突然我が子が失踪した(誘拐であろう)ために神と戦い、魔道に墜ちる人々の姿に衝撃を受けていたら、友人に『灼熱の魂』はすごいと教わり、たまたま新橋で上映中だったので観た。カナダで、移民でシングルマザーのナワルが亡くなり、双子の娘と息子に二通の手紙が遺される。「一通はあなたたちの父に、もう一通はあなたたちの兄に渡しなさい」との遺言に従い、二人は中東の祖国に渡り母の人生を辿りはじめる。やがて、自分のことをほとんど語らなかった母の、血と硝煙の匂いに満ちた過去が明らかになる……今年は『複製された男』も公開されたので、個人的に二〇一四年はドゥニ・ヴィルヌーヴ元年。

★『罪の手ざわり』(ジャ・ジャンクー監督)
経済発展や開発で大きく変わりつつある中国を舞台に四人の男女が罪を犯す。冒頭の、炭鉱労働者が正義のために銃を手に取るエピソードは理由もはっきりしているが、歯車が狂ったり、不運のために罪に触れる人々の姿は痛ましく、生々しいだけにやりきれない。

★『her/世界でひとつの彼女』(スパイク・ジョーンズ監督)
姿のない、声だけの存在のサマンサ(声はスカーレット・ヨハンソン)に夢中になって恋をしてしまうセオドアをホアキン・フェニックスが好演。どんなに愛しくても、その人は自分とは別の人間であるという、当然なのに見失いがちな事実を示しつつ、恋愛に肉体は必要ないことを白日の下にさらした。セオドアの同僚で色白で太ったポールがクリス・プラット。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の主役、鍛えられてすっきりした肉体のピーターと同一人物と知って、変わりように驚いた。顔まで違う。

★『ガガーリン 世界を変えた108分』(パヴェル・パルホメンコ監督)
一九六一年に世界で初めて有人宇宙飛行に成功したソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンの半生と、ソ連製ロケットボストーク1号の打ち上げミッションを描く。宇宙という未知の領域に素朴な装備で挑む、世界最初の『ゼロ・グラビティ』。
ボストーク1号の打ち上げが成功すると、「喜ぶのは帰還してから」と諫める声はかき消され、有人飛行成功のニュースに喜んだ人々が街頭に繰り出し、「どこに着陸するの?」「赤の広場に決まってるじゃない!」という会話が交わされていた。ソ連宇宙開発の春。


『ミス・ジーンズ・フィンランド』と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』、『ベイマックス』は二回観た。