鳥語花香録

Umiyuri Katsuyama's weblog

登高

  登高    勝山海百合

 九月九日は晴天だった。
 江南に名高い李家も重陽節の登高をすべく、輿【こし】と車を連ねて名園で知られる香山寺に出かけた。大勢の家人も髪に袖に茱萸【しゅゆ】の紅い実を飾ってあとに続いた。
 李家一行は参道の長い石段を登って山門をくぐった。家人らは寺庭に手際よく幔幕【まんまく】を張り、日除けをこしらえ、酒肴の用意をした。香山寺の高僧がやってきて法話をすると、菊花酒の杯をかかげて、長寿と息災を祈念した。
 今年は李家の末っ子、李天賜の最初の登高でもあった。まだ生まれて一年なので乳母の五娘【ごじょう】に抱かれてのことだが、虎の帽子を被り額に菊の花びらを付け、立てば歓声が上がり、歩けば褒められた。
 この日の香山寺には白家も遊んでいたが、李家に仕える若い九華【きゅうか】は、銘木と池の奇岩越しに見える白家の様子が気になっていた。白家では、ついこのあいだまで水妖の怪があったことで知られていた。
「白家のお嬢様に会ったことあるんでしょう? どんな方だった?」
 五娘が九華に聞いた。李天賜が九華の茱萸に手をのばす。その手をそっと押さえながら「輿に乗っているのを見ただけよ」と答える。お姿は見ていない。そもそも良家の御婦人はみだりに人前には現れないものだ。
 九華が不自然にならぬ程度に白家を気にしていると、女中頭の雲梅に、白家へのお遣いを言いつけられた。持たされた蓋付きの籠の中には菊の蕾を模した丸い揚げ菓子が詰まっている。蓮の実に、小麦粉を家鴨の玉子で溶いた衣を付けて揚げた黄色い菓子で、見ただけで口中でほくほくと崩れる蓮の実の感触がするようだった。九華はあとで作り損ねた形の悪いものを食べられるかもと思ったが、努めて顔色に出さなかった。
 持っていった籠は白家の家人に丁寧に受領され、九華は伏し目がちに様子をうかがったが、回らされた幔幕越しに、かろうじて白家の奥様の影が見えたに過ぎなかった。帰りには「使い立てしてすまないが」と柿の実が載った堆朱の盆を持たされた。紅児頭という文字通り幼児の頭ほどの大きさの珍しい柿で、なにやら朱い人の頭を思わせた。
 白家の奥様から戴きましたと九華が奥様方に報告していると、李天賜がよろめくように近づいて柿に触れた。薄い果皮が破れて果汁が迸り、熟柿の甘い匂いが立った。それがあたかも人の頭が割れたように見えて一同が息を飲んだその時。九華の背後に視線が集まり、九華も振り向いた。轟音と供に池に水柱が上がり、白く長い布のようなものが秋空にたなびいた。思わず声が漏れた。
 白家は怖ろしいほど静まりかえっていた。


 (初出『ダ・ヴィンチ』二〇〇八年十月号。短編「竜岩石」の後日譚。)
八百字を越えているが「てのひら怪談」カテゴリーにしておく。