「あれは真珠というものかしら」英文版。
"Dewdrops and Pearls" by Umiyuri Katsuyama (translated by Eli K.P. William)
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「あれは真珠というものかしら」英文版。
"Dewdrops and Pearls" by Umiyuri Katsuyama (translated by Eli K.P. William)
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トシヤ・カメイの「ピーチ・ガール」の原文(英語)の朗読を、Chris Herron さんのTall Tail TV で聞くことができます。
A Story in 100 Words に拙作「猫を侮るなかれ」の英訳 "Three Claw Marks" (translated by Toshiya Kamei ) が掲載されました。 Drabbleです。宇宙猫SF……かも。
空蝉(うつせみ) Toshiya Kamei 勝山海百合訳
「マサミ……」彼女はもう一枚皮膚を脱ぎ、僕は眉をひそめる。脱ぐたびに彼女は少し小ぶりになり、祖母が持っていたマトリョーシカ人形を思い出す。
「痛みはある?」僕が尋ねると、彼女は首を振る。いいえ。
僕は彼女の皮膚を床から拾って、日に透かして見る。半透明の薄い表層には彼女の面影がある。まるで低い茂みの上にある蛇の抜け殻のようだ。
「君は僕に何も残さないんだろうね」とつぶやく。
「そんなことない。わたしのうつせみがあるでしょう」
彼女の最期は僕を打ちのめし、僕は涙を堪えるしかない。マサミは幽かに笑って、僕を抱きしめる。
原文の "Beneath Her Skin" はBeneath: An Anthology of Dark Microfiction (Hundred Word Horror) 所収。(カメイさんの許可を得て公開)
www.amazon.co.jp
Toshiya Kamei の Peach Girl のスペイン語版 LA CHICA MELOCOTÓN が、フロリダの Nagari Magazine に掲載されました。
www.nagarimagazine.com
トシヤ・カメイの「ピーチ・ガール」(勝山海百合訳)がバゴプラで公開されました。
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Yukimi Ogawa は日本の作家である。もしあなたが知らなくても無理はない。英語で執筆し、発表しているからだ。アメリカで活躍する中国出身の作家のイーユン・リー Yiyun LI が中国語では無理、英語でなくては書けなかったと告白しているように、Yukimi Ogawa も自身の物語を紡ぐ道具に英語を選んだ一人ということだ。
Yukimi Ogawa の活躍は、うっすらとだけ知っていた。アメリカの複数の雑誌に掲載されている、日本人のような名前の作家がいる……日本人らしい……くらいで、日本で日本語で生活している人だと知ったのは三年ほどまえだろうか。英語で書けて羨ましいと思った。作家としての詳しい来歴は二年まえに出た橋本輝幸(Terrie Hashimoto)の『RIKKA ZINE』創刊号(二〇一九年五月)に収録されたインタビュー記事で知った。(ユキミ・オガワは、高校生の時に十か月間英国に留学していたそうだが、読んだり書いたりに比べて、英語の会話は苦手だと語っていた)
アメリカの友人は、Yukimi Ogawa のような人は空前絶後だ、どうして日本の出版界は彼女を無視するのかと憤っていたが、「空前ではあるが、絶後ではない(彼女のような人がこれからは現れないとは、まだ決まっていない)」くらいしか口を挟むことはない。(紹介されないのは受賞歴がないからだと思うが、わからない)
少しまえに、Yukimi Ogawaを翻訳してみようと思い、短い、ダークなファンタジーを眺めてみた。作品に相応しい、豊潤で苦い日本語で翻訳されたら素晴らしいだろうと思った。完熟した桃の甘い香りと、したたってべたつく果汁、寄ってくる虫。美も腐敗も一つになり、やがて白い骨になる……皆川博子のような文章になるべきだし、読みたい。しかし拙訳では無理だと諦めた。
せっかくなので少し紹介する。The Dark Magazine に掲載された"PERFECT"は「見て、わたしのマグノリアのドレス!」という言葉で始まる。マグノリアは辛夷(こぶし)や木蓮(もくれん)、泰山木(たいさんぼく)のような花の総称だ。その白い花で作られ、一か所だけ紫の花になっている衣装を自慢する女……尋常ではない感じがして身構える。山岸涼子の「天人唐草」のラストシーンの、着飾った女を連想し、そのイメージが焼き付いたまま読み進んだ。美と若さに執着する女が登場する、楳図かずおの『洗礼』も思い出す。どちらもホラー漫画の古典だ(『洗礼』は怖くて最後まで読んでいない、そういえば)。
終わり方は日本の古典落語の一つのようでもあり、意図してのことかそうでないかはわからないが、たいへん日本的だった。
www.thedarkmagazine.com
少し先だが、かぐやプラネットに Yukimi Ogawa の 出世作 "Town's End" の翻訳が掲載されるそうでとても嬉しい。
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実は、Yukimi Ogawa には何度か会ったことがある。
オガワさんに断りなくあれこれ書くのも失礼なので、初めて目が合ったときのことだけ書いておく。
二〇一九年のはるこん(ラヴィ・ティドハーがGoHのとき)で、「階段で怪談」という企画をやった。スタッフから「前任者からの申し送りで、勝山さんが是非やりたいとおっしゃっていたとのことで、階段で怪談をやってもらいます」と言われたが、是非にと言った覚えはない。言った覚えはないが、会場のホールの、階段状になった客席に人を集めて怪談をした。
自分で話し、参加者にも話してもらって終わりかけたとき、「なにかある? 話しておきたいこと」と一人の参加者に話しかけた。「ないです」と首を振った人がユキミ・オガワだった。そのことに気がつくのははるこんが閉会したあとだ。(これ以前に擦れ違ったことはあったと思うが、最初の接近遭遇はこれだ)
ユキミ・オガワの最新作は、F&SF誌やClarkesworld誌で読めるだろう。