鳥語花香録

Umiyuri Katsuyama's weblog

作家、本当のJ.T.リロイ

ジェフ・フォイヤージークが監督したドキュメンタリー映画、『作家、本当のJ.T.リロイ』を観に行った。
アメリカで一世を風靡した十代の作家がいた。J.T.リロイ。美しく年若い娼婦の母親とその愛人に虐待されて育ったJTは、自らも男娼となる。精神科医の勧めで小説を書くようになり、自分の好きな作家に電話を架け、原稿を読んでもらい、作家として世に出る。世間に顔を出さず、インタビューは電話でだけだったJTが、ついにマスコミの前に出る。ブロンドのかつら、大きなサングラス、女性への性転換中だという中性的な容姿は私小説的な作品のイメージにぴったりだった……が、実際に小説を書いていたのはローラ・アルバートという女性で、JTとして振る舞っていたのはサバンナ・クヌープ、ローラの義妹(夫の妹)だと雑誌にあばかれる。あれから十年、ローラ・アルバートが事件のあらましと、自身の生い立ちを語る。

幼少期からのローラの写真、著名人との電話の録音テープ、手書きのメモが山のように引用されていた。なんでも残しておくのだ。正直、怖いもの見たさで観たようなものだけど、予想していた怖さはなかった。別の怖さはあった。
ローラ本人の言葉を信じるなら、幼い頃から肥っていることで学校でいじめられ、母親とその愛人に虐待され、精神病院へ入院。退院後、帰宅は本人のためにならないからと十代の少女のためのグループホームで生活するようになる。苛酷といっていい。お人形遊び、パンクロック、電話相談で話すことがローラを救ったといえる。ローラは十代の虐待された少年になったつもりで電話するのが常で、それがのちのJT誕生につながる。
(子ども時代のローラの写真に、バービー人形を裸にして、腰を曲げて手を床につけたポーズにして並べているものがある。お仕置きしていたそうだ)
壮大な仕掛けで世間を騙した狡猾な女の話ではなく、作家が作品ではなく見た目の良し悪しで評価される仕組みの犠牲になっていると簡単に言って終わることでもなかった。観たあとでさまざまなことを考えたが、取り敢えず、ローラが少女時代を生き延びて、作品を世に出すことが出来たのは良いことだと思った。美少年作家はいなかったけれど、書いた物は盗作でも剽窃でもないのだから、悪い作家ではないのでは。迷惑を被ったり、恥をかかされたと思う人も多いだろうが、作品と作家を切り離して評価するとして。

上映のあと、スクリーンの前でローラ・アルバートの公開インタビューが行われた。茶色い髪の、光沢のある灰色のドレスを着た女性で、さっきまでスクリーンに映し出されていたのと同じ人だ。
「東京だから、お洒落してきました」(と通訳された)

画像はフォトセッションで撮った Laura Albertさん。
インタビューにも、会場からの質問にも丁寧に答えていた。
初めて書いた小説は手書きだったが、現在の執筆はエルゴノミックキーボードで、日記は手書きだそうだ。
わたしの知っている作家で、黒い指ぬき手袋をしているのは京極夏彦とローラ・アルバートだけだ。
(映画館のロビーで、ローラ・アルバートの日本未訳の著書とアライグマの陰茎骨を売っていた。racoon penis bone はアメリカでは愛のお守りとしてポピュラーらしい)