鳥語花香録

Umiyuri Katsuyama's weblog

冬の土用

十七日から冬の土用入りし、二十日は丑の日。二〇〇六年に書いたてのひら怪談土用の丑の話だったとことを思い出して引っ張り出したら、秋の土用だった。微妙に季節が違うが公開する。
(最初は他の題だったが、友人がつけてくれた題を採用した)

  ひどいよ、吉野さん

 吉野さんの家には電話がないので、用があるときは葉書を書くか、直接訪ねるしかない。
 先日、近くに用があったのでついでに寄ると、吉野さんは着たきりの袷で上がり框に現れて、君が来ると思っていたから届けさせたとまだ温かい鰻を振る舞ってくれた。親の遺した家作からの収入があるとはいえ、仕事らしい仕事をしている風には見えない吉野さんのことを考えると、鰻などご馳走になるわけにはいかないのだが。
「君、あの話を聞いたかね」笹の葉にのった白焼きを前にして吉野さんが言う。「先の二百二十日の雨の晩、米穀商の大黒屋に物盗りが入ったろう」
 その話は知っている。金目のものを風呂敷に包んだこそ泥は、さっさと逃げればいいのに台所にあった握り飯――夕飯の残りを握って、味噌をつけて焼いたものだったらしい――に目が眩み、食べているところを大黒屋の若いのに見つかって、盗んだものを放りだして逃げ出したと聞く。血気盛んな若いのが寝間着の裾をからげて、雨上がりのぬかるみを『血煙高田の馬場』のバンツマのように走って追いかけたが、大川端で見失ったそうだ。おそらく川に飛び込んだのだろう。
「盗人はまだ見つかっていない。うまく逃げおおせたのか、それとも……ときに、鰻というのは何でも食べるそうだね」
 鰻の白焼きに伸ばした箸が止まる。醤油を垂らした大根おろしを薬味に食べようとしていたのに。
「この鰻は……?」
「地物だよ。暑い盛りに食べる痩せ鰻は薬みたいなもので、本当に美味くなるのは寒くなってからだ。今日は秋の土用の丑だ。ささ、遠慮無く食べ給え」
 ……こんな話を聞くと、ますます鰻などご馳走になるわけにはいかないのだった。