鳥語花香録

Umiyuri Katsuyama's weblog

S・チョウイー・ルウの"Mother Tongues"

Clarkesworldで S. Qiouyi Lu (S・チョウイー・ルウ 陸秋逸)の "Mother Tongues"を読み始めて、手元の『BABELZINE』に訳載されていたことに気が付いた。おかげで読みやすい日本語で読むことが出来た。
読んだのは少しまえだが、言葉は文化とも思考とも不可分で、言葉を失うことで自己も失う危うさを描いて興味深いので紹介する。

★下記で"Mother Tongues"の内容に触れているので、知りたくない人は引き返そう☆


【"Mother Tongues" のあらすじ】
 習得している言語を、脳内から抜いて、他人に移植できる技術が存在する世界。アメリカに十五年暮らす中国人女性が娘の学費のために母語である中国語(普通話)を売ることを決意する。英語は覚えたし、残しておいた広東語を使い、中国語は覚えなおせばいいと腹を括って。しかし、中国語を売り渡したあとでは漢字を見ても意味が認識できず、広東語も一緒に遠ざかっており、同胞とのコミュニケーションも難しくなっていた。

 
 納得して差し出して代価を得たが、取り返しのつかない、予想外の損害を突き付けられるところは「猿の手」を思わせる。しかし彼女に他の選択肢はあっただろうか?
 Mother tongueは母語(幼児期から触れて、格段の努力なしで習得した、日常生活の根幹にある言語)のことだが、この場合は娘に献身して奪われた母の舌そのもののことでもある。Mother tongues と複数形になっていることから、言葉を奪われた母親が彼女だけではなく、多くの母親たちが、自分の言葉を発するのを諦め、黙って献身した歴史が透けて見える。娘もまたそんな母親になる可能性があり、そうならないためにもスタンフォード大学への進学は諦めさせたくない。学費は高額だが、そこで得られるものは娘の人生を明るく豊かにするはずなのだ。
 母親が中国語を売ったことをまだ知らない娘は、アメリカ人の歌手が中国語を買ったことを「盗用じゃない?」と断じる。子どものためにと思う親心につけ込み、言葉巧みに持っているものを差し出させる搾取の構造、文化的盗用の気配を鋭敏に嗅ぎ取る聡明さは希望だが、言葉は今更取り戻せない。
 しかしやがて納得するだろう。娘のためにはこれしかなかったと。多くの母親がそうだったように。母親なら子どものために自己を犠牲にすることは当然のこととされ、美談と消費される陰で、息をひそめる女たちの痛みがある。今も、そこここに。
 
S・チョウイー・ルウ(陸秋逸)はアメリカ合衆国ロサンゼルスを拠点とする中国系アメリカ人作家、翻訳家、編集者。ノンバイナリー。
公式サイト。
s.qiouyi.lu

Mother Tonguesの初出はAsimov's Science Fiction (January/Feburary 2018)
Clarkesworldに再掲載され、年刊傑作選、アンソロジーなどに収録された。
邦訳「母の言葉」藤川新京訳は『BABELZINE』vol.1(週末翻訳クラブ バベルうお)に掲載。
babeluo.booth.pm