鳥語花香録

Umiyuri Katsuyama's weblog

黒白伝

明末に董其昌(とう・きしょう)という人がいた。上海の南、松江府華亭県の人で、一五八九年の科挙に合格した進士。高級官僚で美術品の蒐集家であるが、書画を善くし、後世の人間はまず能書家としての董其昌を知るだろう。自分がそうだった。清の康煕帝がたいへんに董其昌の書を愛し、しばしば臨模(かたわらに置いて手本にして書くこと)したことでも知られている……と、これだけ読めば立派な人に思えるが、董其昌は官僚でありながら高利貸しでもあり、権力をかさに専横の限りを尽くしていた。其昌の三人の息子もろくでなしで、父親の威光で松江あたりで悪さのし放題。しかも取り締まられて罰を受けることもなかったため、董一家は松江の市民に憎まれ忌み嫌われていた。
陸紹芳の佃戸(小作人)にたいそう美しい娘がいると知った其昌は、息子の祖常にその娘を連れてくるように命じた。祖常は手下のならず者二百人を従えて、夜陰に乗じて陸紹芳邸から娘をさらってきた。怒った陸紹芳が其昌と対決しようとしたため、間に人が立ち、其昌も謝って事態は収拾したかに見えた。しかしほどなくしてこの事件の顛末を小説『黒白伝』として出版した者があり、其昌の悪事が広く知られることとなった。其昌が調べても作者が誰かわからなかったが、自分と遠戚にある范が犯人だと断じ、范を激しく攻めたてたが、自分は関係ないと否定し、その数日後に死んでしまった。范の母親と妻は怒って、使用人を引き連れて董の邸の前に行き、息子(夫)が死んだのは其昌のせいだと門前で罵った。腹を立てた粗常が、門の中に彼女らを入れ、衣服をはぎ取って侮辱を加え、追い返した。
この噂が広まると、普段から董親子を憎んでいた市民の怒りは頂点に達した。代わる代わる邸の前で董の卑劣なやり方を非難し、罵声を上げ、ついには何者かによって董の邸に火が放たれた。其昌は塀を乗り越えて逃げて命拾いをするが、息子達の家も、豪奢な別荘も焼かれてしまう。これによって董其昌の膨大な美術コレクションも灰燼に帰してしまったそうだ。

*この文章は、山根幸夫の「明末の社会 そこに生きた人々」(『書の宇宙 18』(二玄社))を参考にしたので、表現に似たところがあります。